利根川 霞ヶ浦 成田

千葉県は旧国名でいうと房総三国、安房(あわ)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)からなる。

県名の由来は平安時代から下総に勢力を誇った名族千葉氏の下総国千葉郡といわれる。古代には朝廷から”総の国”(ふさのくに)と把握されていたが、大化の改新で上総と下総の二国に分かれ、奈良時代に上総から安房が分かれた。地図の上では北から下総、上総、安房の順となっている。陸路を考えると下総から上総に入るということになる。しかし八世紀までは京の都より古代の東海道を下るのは陸路でなく、三浦半島より東京湾を船で渡り上総に上陸してから下総に入っていた。この船のルートでは上総の方が都に近いことになる。

古代から中世にかけては房総半島は半島というより四方を海や大きな川で囲まれた”島”という感覚で利根川や霞ヶ浦、印旛沼、手賀沼など多くの湖沼があるいったいは広大な入り海で”香取の海”と呼ばれていた。


参照:東京を江戸の古地図で歩く本     夢文庫 ロム・インターナショナル編   河出書房新社


      

    利 根 川

    霞 ヶ 浦

  


      


         


         
      ケタリングのコンテナ

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